牧 師 の 部 屋

疲れた人は来なさい

マタイ1128

ツイッターメッセージ

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ1128

今、多くの人が疲れています。人との関係で疲れています。夫婦関係、親子関係、友人関係、会社関係、学校関係、近所づきあい、人と関わることへの不安や恐れ。気を使いすぎて、疲れてしまうのです。仕事や学業、期待されていることが、重荷となっていることもあるでしょう。病のゆえに、体が弱り、痛み、心も疲れてしまいます。その先にある命の終わりのこと、その後どうなるのかも、考えるなら心は疲れてしまうのです。自分の行く末が見通せず、何をやっても、達成感、充実感が得られなく、疲れだけが残ってしまいます。その疲れもまた、永遠に続くようで、希望が持てないのです。

人を疲れさせる課題や状況、これは私たちの前に立ちはだかる壁のように感じられることでしょう。人の疲れは、人それぞれで、他の人に理解できないことが多いのです。その悩み、疲れを知って、理解し、共感し、伴ってくださるお方が、おられるとしたらいかがでしょうか。

昔よく聞きました。疲れたり、悩んだりするのは、鍛錬が足りないからだ、甘えているからだ、気合いが入っていないからだと。そのような言葉は今も変わらないかもしれません。でも人はそんなに強くはない。それができれば、苦労はないのです。

そのような人の痛みがわかり、人をいたわってくださる方が言われたのです。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と。

疲れている人の見ている先には、何があるのでしょう。多くは自分自身でしょう。自分が損なわれないように。自分の評価が下がらないように。自分と人との関係が悪くならないように。自分を守るために要らぬ疲れを招いているのではないでしょうか。

さまざまな実際の課題もあるでしょう。それをうまくやることが、今絶対に必要なことで、それができないなら、自分は失格だと。なんとしてでもその課題をクリアすべきなのだと。それができないなら、もう未来はない。本当にそうなのでしょうか。先程の言葉を語られたお方は、その見るべき先を、変えなさいと言われるのです。それは「わたし」です。「わたしのもとに」、「わたしが~休ませてあげます」わたしとは、イエス・キリストです。

私は何か問題が起きていたり、疲れすぎたりした時に、嫌な夢を見ます。学生時代、試験があるけれど、その試験会場となる教室がわからないで探し回り、結局試験を受けられなかったとか。学校で教師として教えようとするのですが、教室が見つからないなど。私はいつも何かを探しているようです。

ぱっと目が覚めて、酷く汗をかいて、嫌な気分になっているのです。隣の妻から、うなされていたと聞く。その後、もう一度眠ろうと思っても、また夢の続きは見たくはない。また眠ろうとしても眠りにくくなっている。明日早いからとか、体力がもたないからとか、寝なきゃいけないとは思いはするのです。

そこで私は気分を変えます。撮りためていた洋ドラマを見たり、難しい本を読んだりと、別の方向を見る。視点を変えるのです。小一時間もすれば、眠くなって、ベッドに戻れるのです。

煮詰まった時、課題が大きすぎると感じた時、視線を外してみると、あの大きすぎる課題も、とらえ方が変わってくることがある。私たちを疲れさせる課題も、一度視線を外すことで変化することがあるのではないでしょうか。

そして、見るべき先に、自分をいつくしみ、伴ってくださる方の声を聞くなら、疲れを手放すことができるのです。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

教会ではイエス・キリストを、すべての人の神としてお伝えしています。この方は、私たちを慈しむがゆえに、自分の命を捨てても構わないと考えるお方です。教会にある十字架は、そこに彼がかかられたことを教えるのです。

そのような方が。私の重荷を一緒に背負ってくださるとするなら、なんと嬉しいことでしょうか。私を押しつぶすように見えた、私を疲れさせる課題は、この方を見ることによって、小さく見えてくることでしょう。そして本当に自分の心を喜ばすのは何なのかを知ることができるのです。

今疲れている方、重い荷物を背負っている方は、ぜひこのイエス・キリストの元に来てみてください。教会を訪ねてみてください。あなたは心に安らぎを得ることでしょう。

 

現主任牧師 深澤祐一師夫妻

1994年 結婚式

2005年 着任

2011年 主任牧師に就任